一日だけの・・・・・・。
1 なんか気分、悪いっ!
最近、訳もわからずむしゃくしゃする。
気分が乗らないし、毎日が余り楽しくないかもしれない。
学校にいるときはそれなりに楽しいし、面白いんだけど。
けど、家に帰ってくると―――もう、ああ、ダメだ、って感じになる。
それはどうしてなんだろう……? なーんて、考えなくたって判ることなんだけどさ。
―――そう、あのバカ男と、馬女のことで、よ。
いつのまにかくっついちゃって、いつのまにか結婚までしちゃって。
おまけに子供つきで。信じらんない。
でもそんなこと考えたら悔しいし、情けないじゃない? だから、考えないようにはしてる。そして誰にも悟られないようにも、してる。
でも……、考えないようにしてても、やっぱりあたしの機嫌は、すこぶる、悪いのよ。止めようと思っても、止められないのよ。
そんな自分が情けないと思っても、それでも、やっぱり―――……。
『「―――だからぁっ! 判んないかなぁっ、そういうとこっ!!」』
『「何であたしがそんなこと判らなきゃならないのさ?」』
駿平とひびきちゃんが結婚して、もう何日経ったかな。
とりあえず駿平の籍に入ったらしいひびきちゃんなんだけど、でもやっぱり家を出ずになんとユウちゃんの部屋に新居を構えてしまった。
なんて非常識な……と思いはしたものの、駿平たちがすぐにここを離れられるほどの財力なんて持ってる筈ないし。
駿平はとりあえず大検受かって大学受かるまでは(つまり最低でも再来年? までは)この渡会牧場で働くんだから、まぁ仕方ないか、ってあたしは半分諦めてた。
でもやっぱり、二人が自分の部屋のすぐ側で新居を構える、っていうのはいい気分がするはずもない。
特に、夜なんて……。
「……?」
あたしがお風呂から上がり、自分の部屋に戻ろうと階段を上ってくと、二階に上がった途端にひびきちゃんの声がした。
叫んでるのは駿平? ……もう夫婦喧嘩? 仲のいいことだわね。犬も食わないものにあたしが興味を持つわけないでしょ? あたしはそのまま部屋に入ろうとした。
『「だっ、かっ、らーっ! どーぉしてそうひびきちゃんて物分かりが悪い訳~? あんたも女でしょう!?」』
「!」その声に、あたしのドアノブを握ろうとする手が止まった。
ユウちゃんの部屋から聞こえてくる叫び声は、駿平の声じゃなかった。
あの声は……ひづめ?
悪いかな、と思いながらもユウちゃんの部屋だったところに近づく。
『「物分かり悪くて悪かったね。どーせあたしはそういう女ですよ」』
ひびきちゃんは大分機嫌が悪いのか、かなりむっつりとした(と聞こえるのよ)口調でひづめに返しているみたい。でも、その声は聞きとるのが精一杯だった。
『「あ~っ、そんなこと言い合ってたって話進まない!」』
ひづめはかなりイライラした口調で、早口でまくし立てている。
一応防音効果のある部屋にしてある筈なのにひづめの声はまるで筒抜けにあたしにまで聞こえた。あの子がこんなに大声でまくし立てるなんて、珍しい。
あたしは知らず知らずのうち、興味を持ってしまう。
『「で、結局あんたは何が言いたいのさ?」』
と、ひびきちゃん。
『「ここまで話させておいてまだ判らないとは……駿平のことに決まってるでしょーっ!?」』
駿平?
ひづめのいきり声に、あたしの胸が急にズクン、って重く鳴った。
『「―――駿平の、ね」』
意味ありげに言う(って言うかそう聞こえる)ひびきちゃんの声。
「―――…」
なんかその言葉の響き、とってもあたしには嫌な感じに聞こえた。
「……」
当たり前だし、実際そうではあるんだけど。
今のひびきちゃんの言い方……
『―――駿平の、ね』
その言い方、まるで駿平はあたしのものだ、なんていう風に―――あたしには聞こえた。
聞こえた気がした。
―――『駿平はあたしのもの』―――
もう二人は夫婦なんだし、そう考えないほうがおかしいのかもしれないけど。それがたまたま、口調になって表れただけなのかもしれないけど。
でも……まだあたしにはそれが、素直に受け止められなくて。
フラれた(そんな自覚ないけどね! あんな情けない男に)からって、すぐに想いを断ち切れるほど、あたしは器用な女じゃないから。
「……」
あたしはそれ以上二人の会話を聞いてるのが、なんか嫌になった。聞いてたって、どうせ嫌な気持ちになるだのような気がしたし。
あたしはユウちゃんの部屋の(二人の部屋なんて意地でも言ってやんない)ドアからそっと離れ、自分の部屋の中に、駆け込んだ。
あ~あ。我ながら情けない女。
部屋に入って、ベットに飛び込む。勉強する気でいたけど、その気も失せた。
もういいや、眠っちゃお……。
なんかひづめがぎゃーぎゃー言ってる声が遠くに聞こえたけど(しかしかなり大声出してるのね、あの子…)。
あたしはもう気に止めなかった。
「――――……」
一人で横になってると、どうでもいいことを考えたりする。例えば、あのバカ男のこととか。そんなバカ男と結婚した、馬女のこととか。
そう言えばバカ…いや駿平、帰ってきてないのかな? ひづめとひびきちゃんの声のはざまに、あいつの声全然聞こえてこなかったもの。
(新婚だっていうのに、あいつ、一体なに考えてるんだろう……)
て言うかほんとにあいつら……結婚したんだぁ……。
「……」
気付くとあたしの全ての空気が変わっていた。―――そんな感じに、近かったかもしれない。
最初は大嫌いだったはずのあいつ。
なんか男としては全く見られなかったあいつ。
突然行き倒れでやってきて、ちょくちょく顔を出すようになり、
そしていつのまにか、―――家族になった。
あたしには、考えられなかった形で。
「……」
家族、か。
なんか未だにぴんと来ないわよ。廊下なんかですれ違っても、遊びにきたのと勘違いしてしまうし。
当たり前のようにひびきちゃんといるのも、なんか未だに慣れない。
みーんな、判ってる。
あたしだってそうバカじゃないわ。
あいつにだって、はっきり打ち明けられたしね。
だけど、未だにぴんと来ないの。
あいつが家族に、なったってことが。
ひびきちゃんのダンナになった、ってことが。
「バ――……カ」
あたしは小さく、呟いてみた。返事なんて返ってこない、って判ってるのにね。
ねぇ、もう少しあたしが、勇気を出せてたらどうなってた?
もう少しあたしが素直になれてたら、どうなってた?
それでもひびきちゃんと駿平は結婚してた?
それでも今と、ちっとも変わらない未来だった?
「……」
あたしはごろりと寝返りを打つ。
でも、そんなこと考えてみたってみんなもう終わってしまったこと。
判ってるの。みーんな。みーんな、判ってるのよ……。
くだらないことを考えてるうちに、あたしはいつのまにか眠りについていた―――。
一日が、また同じように終わっていった。
「ほらー、たづなちゃん、何してるの? 朝よっ、ご飯できてるわよ! 起きなさーいっ!」
トントントントンッ!
連続して叩かれるドア。おねえちゃんの大きな声。
「……あれェ……?」
あたしは包まっていた毛布から抜け出し、目覚し時計を見てみる。―――わ! もうこんな時間!?
あたしは慌てて跳ね起き、パジャマを脱ぎ捨て、着替えて部屋を出た。あたしが部屋を出るまで、待ってくれていたおねえちゃんと一緒に、下に下りた。
「おはよ」
台所に入ると、もうあたしとおねえちゃん以外の全員が食卓についていた。
「あ、おはよう。たづなちゃん」
あたしが眠る直前まではいなかったはずの駿平まで、ちゃんとそこにいる。「…おはよ」
(なんか変な感じ)こいつと一緒に食事するなんて。
あたしは自分の席についた。と同時に、おねえちゃんがあたしのご飯と味噌汁を出してくれる。
「たづなちゃんがギリギリに起きてくるなんて、珍しいねー」
「煩いな。あたしだって寝過ごすことくらいあるわよ。―――いただきます」
ひづめのからかいなんか無視して、あたしはとりあえず両手を合わせていつもの食事の合図をとって、味噌汁を口に運んだ。
「ねぇ駿平、あんたの世話してる馬の調子、どうなのさ?」
ひびきちゃんがサラダにまた凄い量のレモン汁をかけながら駿平に聞いている。
「んー…。大分落ち着いてきたみたいだよ。ケンさんも大丈夫だろうって言ってたし。今日は何とか家に戻れそうだ」
駿平は口に箸を入れたまま、ひびきちゃんに返す。なんかその言い方からすると、昨日は結局帰ってこなかったってことなのかな。
「ふぅん…でもあんた、だからってまた油断なんかしないでよね」
「判ってるよ」
ひびきちゃんの相変わらずの調子に、さすがにもう慣れっこなんだろう駿平は動じることもない。
そんな二人を目だけで追ってると、やっぱりこの二人、もう夫婦なんだな、なんてどうでもいいことを考えてしまう。
もう、お互いのことを判りきってる、そんな感じ。
「でもさ、もしかしたら……」
「―――ねぇ、悪いんだけどさ」
駿平が更にひびきちゃんに言おうとしたとき、あたしはその駿平の言葉をさえぎった。「何? たづなちゃん」きょとんとした顔で駿平はあたしを見た。
「馬の話、ここでするのやめてくれない?」
「え?」
「何いってんのさ、たづな」
母さんが不思議そうにあたしに聞いてくる。
「今は仕事中でも何でもないし、第一そんな話、今する必要のないことでしょ? そういう話は二人だけの時にしてほしいんだ」
「なんか機嫌でも悪いの?」
と言ったのはひびきちゃん。訳判らない、って顔であたしを見てる。
別に機嫌なんて悪くないわよ。……でも、ちょっとイライラしてるかもしれない。
でもそんなこと、言い出せないし。
「別に。朝っぱらからそんな話しないで、って言っただけよ。―――おねえちゃん、悪いけどあたしご飯もういらない。ごちそうさま」
あたしは殆どご飯に手をつけず、立ち上がった。
「ちょっと、たづなちゃん?」おねえちゃんが居間に向かうあたしの背に声をかけるけど、あたしはそれを殆ど無視した。
ソファに置いておいたバックをとり、あたしはそのまま居間を出た。「じゃ、行ってきます」
「なんか、怒ってなかった、たづなちゃん?」
玄関で靴を履き替えてると、台所からなんか驚いてる感じで駿平の声が聞こえた。
「……」
まる聞こえだってことに、どうやらあっちは気付いてないらしい。聞こえてるわよと言ってもやりたかったけど、取り合えずやめた。
「凄い機嫌悪かったね」
ひびきちゃんの声も。
誰のせいで悪いと思ってるのよ、と思いながらあたしはなかなか上手く足に入ってくれない靴のつま先をこつく。
「バカ」
そんな二人に(と思う)ひづめが、冷たい口調でそう言った。
ほんと、バカよあんたら。
あたしが何でこんなにイラつくかぐらい、気付きなさいよ。
かといって気付かれたとしても、あたしはどうしたらいいか判らないけど―――。
ちょっと乱暴につま先を床に叩きつけてると、やっと靴がすっぽりと収まってくれた。あたしはすぐに、玄関を出た。
「いってきまーす!」